2024年10月15日火曜日

急な但馬訪問

10月は具体的イメージもないまま、地域の友人の「音頭で」で「白浜温泉へ」の、また別の友人が「それなら、醤油の湯浅にも」と旅行するところとなった。
ところが、メンバーの1人が都合が付かなくなって…「身体」の問題…、急遽延期となった。

ところが、別の急な友人から「但馬へ行かんか?」との電話、長らく会っていない但馬の友人宅を訪れようとの提案で、すぐOKした。

2024年9月14日土曜日

孫の保育園の敬老イベント

9月13日、2人の孫の通う保育園の『敬老』イベントがあった。 
母方の母親であるバァバの運転する車に、父方の父であるジィジが同乗させてもらって、見学にいった。

2歳児男の子だが月齢が少し小さいのか、それなりにみんなに合わせているが、マイペースも目立つ。

2024年7月28日日曜日

旧~い HP Pavilion g6 が故障。ダメ元で修理。3 時間掛けて回復...

  メインで使っている HP Pavilion g6 が、スイッチを入れると「ブートデバイスがない」として立ち上がらない。BIOS でデバイス情報を見ると何と HDD がない。で

  1. HDD の破損の可能性が高く、別の Linux HDD で試しても同じだったの HDD 本体ではなさそう。
  2. USB ケースに入れて USB で起ち上げると起動した。

2024年6月21日金曜日

手術の痛みもマシになって

このひと月は、長い人生の中でなかなか「思わせる」ことが多く、1文では表せない。突然死確率1~3%、腹部大動脈瘤5.1cm、ステント可能性なし、開腹手術による人工血管代替となった。5/8入院、5/10手術、5/25退院となったが、ICUから本来の病室に戻ったのは、5/20、術後5/18に息子立合いで重症者個室で面会した。

  1. 自分が高齢だということを思い知った

2024年5月26日日曜日

入院・手術

 5月8日、3月に予定された入院と手術のスケジュールが、やっと決まってその事前説明、2日後に手術本番となった。コロナ禍で「感染症」の持ち込みや「院内での感染」を避けるためだろう。長い待機・連絡待ちと決定と「日にちを置かない」入院だった。

息子の立ち合いを求められ、1分ほど面会した。説明がなされた事実を明らかにし、手術日には事故や失敗への対処だろう。医師の行為への「アリバイ」的な匂いを感じた。担当医の説明は、息子には「断定的」で「自信に満ちた」もので、私には「慎重さに欠ける」感じのものだった。

どちらにしても「俎板上の鯉」であることは間違いない。息子の立ち合いの都合で退院は2週間後...

手術は5時間を超えたらしい。息子が立ち会ってくれた。

2024年4月8日月曜日

桜真っ盛り、人が過密な万博公園の休日

4月7日(日)朝、息子から「万博公園にいるけど来る?」という電話があった。「1時頃に用事があるけど、現場2時間居れるなぁ」と半時間程度後で合流することにした。

今日は、あったかな桜満開の日曜日だ。

2024年3月26日火曜日

手術先の病院で自ら検診を受けたが

破裂危険性のある腹部大動脈瘤で手術を申し渡されてから、5ヶ月経った。放置されたのでなく、「様子見」だ。

2024年3月18日月曜日

梅見巡り

 梅見の最終日

3月3日(日)

池田市水月(みなつき)公園の梅林を散策した。気温は低かったが陽当たり場所では然程でもない。春だ。

水月公園は我が家から10km離れ、車で20分かかるが、遠くではないが近くでもない。梅林おそらく2度目の訪問だが何時かは思い出せない。この梅林は、広め(よくある梅林の2倍)の斜面に、「開花期のばらつきの小さな品種」になっている。距離を置いて眺めると桜の花見のような華やかさを見せる。梅の間を散策すると、よい香りがズーッと漂っている。斜面の上方からは「公園の池を見下ろせる」ので別の景色を見せる。

3月2日(土)

桃山台・桃山公園の春日大池を昼過ぎに1周した。この池は、我が家から20分歩いた所にあって、1周にまた20分かかるから1時間の散策だ。残念ながら梅の木は20本程度で、早咲きではないものの落弁が多かった。池にはオオバンのペアとマガモのペアが確認できた。

3月1日(金)

茨木市の南の「元茨木川」堤の梅を散策した。あまり事前に調べなくて、車で摂津南ICで下りて南下したら淀川に出てしまい、摂津市役所まで戻って「案内」の人に聞くという手間を取ってしまった。市役所北の階段を上がると堤で、北へ歩くと府道14号線との中央環状跨橋超えて更に北に進むと元川公園の入り口「沢良宜」公園に入る。河川敷の遊歩道を歩き切るといよいよ、自動車道を超えて梅が花を咲かせていた。

川堤の梅や桜は手入れが大変なのか、梅「林」と違って見窄らしさを感じる。


2024年2月25日日曜日

梅見 II

 服部緑地の梅林を訪れた。梅は桜と違って、花は長持ちする。桜は色だが、梅は香りだ。

乗馬C東の駐車場に車を止め、円形花壇を外れて梅林の花見に出かけた。それなりに札が付き、品種が分かる。緑萼は花弁に色が付かない白が、多くの品種は萼に赤みがあって花弁に赤みが付く。ところが、内側にピンクがかかっていたり、逆に外側にピンクがかかっていたり、しかも成長の度合いで色の幅が違う。外側は時間の経った状態だろうから、元来白が萼からの赤身でピンクに色付いた品種、逆にピンク系が萼から色抜けしたらしい品種、濃いピンク単色の「楊貴妃」とかいう品種、しかも、一重、二重、三重の花弁数、花自身の大小のサイズ、雄蕊が大きい品種など、桜と違ってバリエーションが多くて飽きない。来年見ても「また忘れてるな」だろうが。

ところで、息子夫婦が孫2人を連れて、梅見にやって来たので合流した。姉の方は、いい言い方をすれば「しっかり」し、地からの素直な人懐っこい幼さがちょっぴり減ったようだ。一方、弟の方は、自信ができたのか人懐っこく自己表現を試みる。言葉もしっかりしている。残念ながら次の予定があったので、残念ながら4人に「お別れ」することになったが、短い時間ながらなかなか、楽しい癒された時間となった。

すくすく育っていて嬉しい。

2024年2月24日土曜日

梅見

 今日は、暖かくて良い天気だった。午後は老人会(コロナ以後は数人の参加だが)だったので、午前中に万博公園の2つの梅林を訪れることにした。

一つは「梅林」、品種札の付いた狭いだがほぼ満開だった。もう一つは「日本庭園」の小さな梅林、品種札のない木が結構あったがほぼ満開だった。

沢山の見学者が来ており、あるペアの女性が梅の一枝に鼻を近づけて嗅いだが「何にも臭わない」と同行男性に報告していた。この梅林の坂道を半ばまで上った時には、私に鼻は、淡い、香りと言って良い匂いを感じ取っていた。周辺に漂っていた。間違いなく「春だ」。

たった2時間の梅見だったが…。


2024年2月23日金曜日

またまたサボり始めているなぁ

開腹手術をする筈の循環器Cと、それにGoを出す筈のA内科医との実践(停止状態)が見えない中、診察では、敢えてその問題を話題にしました。またまた紹介状と予約とその費用を支払うこととなりました。

月末まで待機となりました。10月末と同じです。

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で、ブログもまたまたサボって、ストップ状態なので、少し書くことにしました。

今年は温かく、近くの公園の梅も、緑地公園の梅が満開です。ファーと心地よい香りを嗅ぎながら、木の間を散歩したり、ベンチに座ったりして時間を過ごしました。

nn!!  このいい天気、孫達はどうする??? と思い、息子に電話すると「こっちもそこへ梅見の散歩に行く予定」とのこと。少し経ってから合流しました。

弟の方がジージに積極的にアプローチするようになり、姉の方は今までのような距離感のないアプローチでなく「なるほど、大きくなったんだ」と思わせる自立を見せました。どちらにしても目まぐるしい成長スピードを感じさせます。残念ながら、自分の都合で、孫の顔を少し見て、帰宅しましたが、癒されて満足♡

2024年2月19日月曜日

 この間(1/19~2/19)は、平穏と言えば平穏なひと月だった。市民病院(2/8)の診察結果は、本人でなく、紹介した医師に密封されて直接送付されたらしく、その医師経由でしか分からない。

  1. 患者とまともな情報の共有のできない、しない医師は、自分に縛り付けたビジネス対象としか見ていない可能性が高い。
  2. かかりつけ医師に不信を感じた場合は、紹介状なしで跳び込む必要がある。
  3. セカンドオピニオン医師を探し出すのは難しい。医師どおしのネットワークがビジネス的な利害関係で繋がっていたりする。
  4. 客観的な「医療」「病状」情報の共有となっているとは限らない。医療業界へ忖度や自分の力量評価に関わる部分があると見られる。
要するに、体験を重ねて「金の草鞋を履いて探す」必要があり、医者にかかる機会は、その大きなチャンスだということ。気兼ねなく、かかりつけ医を交替、選択、評価して見つけ出すことが要るようだ。高齢になる前から…

2024年1月19日金曜日

病院に変更

 昨日、指定の検診日でしたが、「循環器科」と「内科」の分裂が、先が見えない。

そもそも、「大動脈瘤切除の回復手術」(国立の循環器専門センター)、感染症の快癒「肺炎症状(感冒?→肺炎)」近隣の内科医を利用していましたが、3ヶ月肺炎症状は軽症状になったものの、改善と悪化の繰り返しながら、新年を迎えて再び「咳」が強くなりました。

で、内科・循環器科が統合される「病院」通いを提起しました。隣市のT病院が提案され、紹介状待ちになっています。

大転換です。



2024年1月15日月曜日

医者・思い出したこと

手術を待つ身だが、思い出した!

息子が当に誕生した時、産科医は「ボタロー菅開大につき直ぐ手術が必要」として承諾書にサインを求めてきた。妻は、怪しみ「母子の転院」を求めた。私は、無知のためイチかバチか認めざるを得ないかと思ったが、妻は、自分の主治医に相談し、転院を強行したのだ。妻は、心臓病を患っていて7才で手術を受けたのだが、その年齢まで手術待ちしたのだった。

実際は、2mm程度の「心室中隔欠損で、手術が必要なら6、7才。穴のサイズから6才くらいで塞がる可能性もある」とのこと。実際には、熱性の異状があり、体温がうまく調整できずに高熱を出すことが多く、時には 40℃ 越えが 4 日も下がらない生活が続いた虚弱な子だったが、4才を過ぎると、発熱ー下熱がパターン化されて、妻の(私もだが)、子供の世話もパターン化 (タオルやシーツを掛けたり降ろしたりする。熱が篭ると痙攣が起こる。水分補給をする。4日程経つと皮膚にジワァッと汗玉が現れ、その後布団がビショビショになる位大汗をかく。熱が下がって親も安心し、御粥あたりから食事を再開する。これを仮眠状態で夫婦交替でやるのだ。) された。6才夏、穴は塞がり翌年最終のチェックとなった。小学生7才頃からその発熱頻度が減り、小5が最後のこのタイプの発熱となった。8才になった夏、母親 (妻) は子を残して亡くなった。「お前は2人分の命やからなぁ」の私のセリフも今や忘れられているようだ。

さて、産科医が嬰児の胸を開いて、1つの命が逝っても、この産科医は何の咎めも受けなっただろう。

医者は「金の草鞋を履いて探せ」と言われてきた。

私が子供の頃、私や家族が世話になった医者は(私も子供の頃は虚弱だったので)「何でも言え」と言った。「不定愁訴」に手掛かりがあり、検査結果は裏付けるか、絞って行くのに「愁訴」は必要な情報だという。大人になっても私の親はこの医者の世話になっていたが、大学が同じ(私は理学部、医者は勿論医学部)だったこともあって、親が「どんな話してんねぇ!」という位、往診の繋ぎ時間に、そんなに多くはないがいろいろな話を聞かせてもらった。医師会でも地位のある名医だった。2人は目指した学問の道と年齢は大きく違ったが、医師として力を付けていったジグザグも含めたものの評価や、経験や体験の本質的なところでの総括の仕方など学ぶところが大きかった。ある意味、医者を超えた医者だった。

今、掛かっている医者は、パソコンと睨めっこし、採血を繰り返し、検査漬けをやる。結果を印刷し、説明をする。薬の処方は効果と副作用、大体10日から2週間でそれが分かり、必要なら切り替える。で、最初の検診から3ヶ月経ったが、確かに症状は改善したが「完治」には程遠く、肺炎のような軽い症状が延々、延々と続いている。

実は、全身麻酔による手術待ちなのだが、この医師はそろそろ「手術」を言い始めている。症状自体は1月前とそんなに変わらない。その時は手術見合わせだった。

結論:妻が我が子のために医者と対峙したようにやる。医者のご機嫌は無視・・・


2024年1月8日月曜日

本日も外出なし

咳症状は治まらず、不定期、断続的な軽い咳が出ます。咽頭部のイガイガと、咳とも言えない喉の発作様の症状が続いています。食欲は減ったものの維持?。腹周りは3ヶ月で7cm減って喜んではいます。

40年前に、肥満だった体が、月に1kgづつ減り続けたことを思い出しました。身体が軽くなって「調子がいいなぁ」と思っていたら、適当なところで止まるのでなく減り続けたのです。逆に力の出ない重い体に変わり、頬が落ち始め、遂には職場でへたってしまいました。

我ながら馬鹿だと思うのですが、車を運転して掛かりつけ医に駆け込んだのです。当時「胆のう炎」を患っており、石のない「感染」による胆のう壁の肥大があり、定期的に通院していたのです。さて、胆道が閉鎖され、それにつながる膵管もつまり、膵液が逆流して「自己消化」を起こし、カルシウムが沈着してトラの縞模様がレントゲン写真に写っていました。医師は、ただちに点滴してくれました。必要なら管で外に出す、ということで入院先を探してくれたのですが✕、そのまま毎日、1週間毎日点滴を受ける羽目になったのです。

いざ入院となると、抗生剤点滴を受けることとなり、40日間のベッド生活となりました。それでも、白い便も20日も経つと黄色に変わり、体も軽くなって、自分を持て余すようになりました。外出許可が出たのは30日後。

この時ほど、訳の分からん体重減少ではないと「願望」を少し入れて、解釈しています。

2024年1月6日土曜日

土、日は外出不要につき

 次の通院は 9日と10日なので、処方薬もあり、家でタラタラ過ごすつもりです。


2024年1月5日金曜日

医者通い新年最初とPCトラブル

 新年医者通い初日、待って、診察、点滴再診察のお決まりコースでしたが、処方薬が変わりました。

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実は昨夜、寝る前に USB 100GB 越えのデータを 空スペースが1.5倍ある PC に移動し、10 時間かかると出たので朝まで放置しました。確かに、移動しましたが、使い物になりません。それで、USB 側でデータを3分けしてやり直すことにしました。USB を抜いてやって来たUSB分を削除すると 10 時間かかって削除ははされました・・・が、起動に時間がかかり、アプリも同じで使い物にならない状態でした。

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(1) ; システムが検知している HDD の既使用領域と実際とは齟齬があるということか?
(2) ; システム自身は起動している
(3) ; (1)はレジストリと実際との齟齬?
(4) ; レジストリが管理の上位のはず (でなければ不要)
(5) ; CCleaner を使おう
(6) ; レジストリに合わせヘルスチェックで回復実行。祖語のある大半の領域は解放された模様
(7) ; 詳細クリーンで残存データを消去。
(8) ; 実際と(7)に合わせてレジストリクリーンを実行。
(9) ; 再起動。
(10); (5)~(8)を繰り返した。この処理の進行は通常程度だった。
(11);再起動し、回復。

レジストリに管理される実際の領域との関係に「感づいた」のがうまくいった理由かな!

2024年1月4日木曜日

スピーカーボックス

Windows XP 時代のデスクトップで使われていた (1)前面カバーはあるが (2)ユニットにプラスチック製の背面カバーが覆うだけの「ゲーム機」用スピーカーを息子から貰い、睡眠前のヒーリングに使っています。何とまぁ、PC のヘッドフォンの出力でかなりの大きな音 (1950年代の家庭用ラジオの最大音量程度) が出ます。

広帯域ではないものの、人の聴感にはよく合っているようで、「広帯域」「低歪率」「高価格」とは全く反対の、人の耳で聞くには『高低音の欠落感がない』『刺激音のない穏やかな音感の』、『低価格』のものです。

歳を喰うと聴覚も衰え、それでも音楽を聴く楽しみを続けると、何が「いい音」を考えさせられます。10 年以上を健やかな睡眠に導いてくれた「物」に、不思議に思い出と感慨と感謝の感情が生まれてしまいます。

2024年1月3日水曜日

年始挨拶に

昨日は、恒例の電話年始挨拶日。個人的な年賀状はまだしも、業者さんの年賀状の虚構性は「もうえぇわ」で100%無視し、形式的なものも縮小しました。半世紀ほど続く、一部の友人と親しい人達も、消息や暮らし向き、自分と同じように時も心身も齢を重ねてこれも自然にテーマに乗りながら、会話も弾むし、年賀TELはOKかなと思っています。

今日は、息子の細君宅に挨拶、息子宅で孫とイチャ付いて、元気をもらって帰宅。身体…しんどかった、こころ…元気出た の矛盾。癒されたのは真実です。

2024年1月2日火曜日

仕事初め

年寄りの病持ちには「寝正月」がふさわしいと、元日はそのように過ごしました。

2日は仕事初めかと、「身辺整理」開始、ガラクタのまま放置した旧いオーディオ機器、パソコンなど一所に集める作業を始めました。ATA 3.5inch HDD 何台か, 7coreの基盤、RCAワイヤーなど。

ところが、1時間しないで体が熱くなり大汗をかき --- 変更された処方薬の副作用かな --- 、息がはぁはぁ言い始めたので、そこまでと中断しました。身体が落ち着くと、続いている微熱が解かされ、軽くなっていました。モードが変わったかな。肺炎症状はまだ残っているが。

2024年1月1日月曜日

本当によい年になりますよう! 新年おめでとうございます。

おめでとうございます。

元旦に津波とは!観測機器のデータと機関の発表しかないなぁ…知り合いの住処は海岸じゃないのでホッとはしたが、被災の情報が少ないなぁ…21時段階でニュースにのり始めたが...