2017年2月19日日曜日

ボリショイ・バレエのコッペリア

暇な時にタマに書くブログを謳ったものの、本当にそうなってしまいました。暇が作れない一ヵ月でした。
言い訳程度の投稿です。

YouTube で国立ボリショイ劇場バレエ団のコッペリアが丸々

自分の PC にダウンロードして字幕を付けました。YouTubeはここ (Ctrl+クリックで別タブで開きます。HD再生まで時間がかかるので注意 ←著作権侵害アップロードとして削除されました。2017.2.28。取り敢えずリンクはそのままです。)

それでも、今回のコッペリアは、抽象性の高い振り付けでなくて、①人の仕草が表情豊かでリアルで、②音楽の動機と動作が無駄なく一致し、③言い手が「言う」と聞き手が「確かめる」の掛け合いが多くあるため、実は予めの知識や字幕なくなしでも理解できてしまうというものでした。

字幕を付けながら次々見ていくと、登場人物のキャラクターが実際にいる人たちとダブ付いて面白くてたまりません。抜群の振付でした。

2017年1月1日日曜日

久しぶりに初日

閲覧してくださる皆様、明けましておめでとうございます。
昨年末は、地域・公・私とも色々あって、あちこちと走り回り、ブログなど書けたものではありませんでしたが、昨日の空が、奥の方まで透けているような青く、よく晴れていたので、元旦は初日日和だと決めつけて夜の初詣でをやめ、早朝の初日の出を見ることにしました。

久しぶりの初日の出


日の出が7時12分ちょっとなので、近くの千里中央公園展望台に20分前に到着したら、もう人がいっぱいでした。
展望台は閉鎖され、その土台になっている建物の屋上と、その下の道路わきの東側は隙間がないほど人がいっぱいで、頭の間からようやく太陽が拝める程度の状態でした。
さて、日の出の時間。残念ながら生駒山地のある東の空は、地平線沿いに雲がかかっていました。生駒山の北方から、放射状の雲の影が上方に伸び、太陽の位置を知らせていました。

2016年12月9日金曜日

パソコンガラクタの処分ついでに野中宮山古墳へ

大阪市の南の端の方で、かなり前から、金とレアアースがたっぷりのものを、回収・解体・再利用分別・資源分別などをやっている業者がいて、今年も、この1年間に溜まった修理不可のパソコンやパーツ、ガラクタ、残骸の類を引き取ってもらいに行きました。缶ジュースや缶コーヒーをくれるのですが、「無理せんでいいよ」というと「まぁ貰っといて」というのが恒例の挨拶になっています。まぁ経営できているようです。 河内に近いので、帰りに古墳か「由緒のない」(知られていないという意味で)ちょっと歴史を刻んだ神社によっています。

今回は、古市古墳群の中の野中宮山古墳に向いましが、途中で有名な津堂城山古墳があったの、その傍らに若い二人がやっているオリジナルラーメン屋さん(前方部右端向い側)があったの腹ごしらえした後20分ほど駐車区画を1つ使ってよいことにしてくれたので、フルで歩き回りました。

百舌鳥の大仙古墳(仁徳陵に治定)や古市の誉田御廟山古墳(応神陵に治定)は古墳時代中期の巨大古墳の時代を代表する古墳ですが、2重・3重の水を湛えた周濠を持っています。

2016年11月9日水曜日

狭山池博物館へちょこっと

コーヒー友達AMIM氏と予定していた「滋賀湖東の古墳」見学を、雨のため、屋根付きの狭山池博物館に変更して行きました。『どこかのTV番組で、狭山池周辺の住民に穴場を尋ねたら、誰もかれも「狭山池博物館」と言う上に、確か前の知事が「廃止」を言った建物だと思うので見て置かないか』との提案に乗って、見に行きました。

途中、道案内に「みはら歴史博物館」というのがあったので、「ついで!」とハンドルを切りました。小さな館に入ると(65才以上無料)、梵鐘工房遺構が覗け、鉄窯・鉄鍋などが展示、この辺りには「河内鋳物師いもじ」という鋳造技術集団がいて、平安時代から室町時代にかけて、梵鐘などを高い技術で製作していました。特に、興味を引いたのは、奈良東大寺の大仏は、製作技術が未熟で、ひびが入り、ついには頭が落ちたそうです。これを修復したのが河内鋳物師たちだったそうです。

別室には古墳時代の甲冑が展示、1体でなくズラッと並んでいました。兜は、ツングース系です。

2016年11月6日日曜日

乙訓の古墳へぶら~り II

2日程、疲れる運動と激しい運動を控えるよう医者に言われたので、車の運転ならOKだろうと、先日見れなかった、乙訓の元稲荷古墳とついでに天皇の杜古墳を見に行きました。

京都市周辺では、古墳時代全般を通じて、淀川支流では水運に恵まれた桂川沿いと木津川沿いに営まれます。都の営まれた今の市内は辺境だったわけです。

先に訪れた天皇の杜古墳は、伝承の文徳天皇陵(9世紀半ば)とは異なり、朝顔形埴輪が出土していて前期後半(4世紀後半~末)の前方後円墳だとされています。墳形も、前方部が撥形には開かず大きくもないので、オオヤマトの大王クラスの古墳より少し後、地方の首長クラスの古墳ということのようです。墳丘の中を自由に歩けるのは有難いことです。墳丘の周りは濠でなくて単なる兆域。

2016年10月27日木曜日

石上神宮と天理大「参考館」

大阪とは違う夜の気温の中、T氏宅に1泊。今日は石上神宮に立ち寄る予定でしたが、写真愛好家氏の体調が優れず家に帰ることになり、朝食後の10時頃まで雑談して駅までまで送り出しました。

石上神宮は天理市にあるので、博物館である「天理大学付属『参考』館」に寄りました。昔は「雑多に並んでいた」が今は数も配置も整理されたそうです。確かに学問的な一級品揃いな感じでした。この辺りは「布留遺跡」で、編年に使われる土器に特徴のある、古墳時代の早期の遺跡ですが残念ながら遺物の展示はそう多くありませんでした。

西大寺を20分間訪問

一昨日の昼から、半世紀来の友人が秋田から大阪にやって来るということで、同じく半世紀近くのである友人奈良歌姫町のT氏宅の厄介になって、友人たち8人が集まってワイワイガヤガヤ旧交を温めました。

西宮からやって来る古書店運営「みどり文庫」氏に落ち合うまでの30分ほど、秋田の友人と、西大寺駅近くの西大寺を訪問。8世紀半ば、道鏡事件で知られる考謙が重祚した称徳女帝が、「国家鎮護」を祈願して造った寺とされています。この女帝は、聖武天皇の娘で母が光明子です。絶大な権力を私的な恣意に委ね、かつ他者に頼ってしまうタイプだったようで、陰謀渦巻く権力闘争と反乱に明け暮れた時代を作っています。親に対抗し、東大寺と同じレベルの寺を創建しましたが、平安時代に度重なる火災で衰えました。