2025年12月12日金曜日

旧い友人との永遠の別れ

友人の死去の電話があり、通夜に駆けつけた。私より若い。

ただ、数年前から体調不良だったそうで、「レヴィ小体型認知症」を患っていたそうだ。
このレヴィ小体型認知症は、既に亡くなっている自分の兄が患っていたものだ。

兄もそれなりの年齢だったが、高齢の母の世話をしてくれていた。仕事に問題が発生したのか、早くに自己都合退職し、母の年金と自分の僅かな退職金で暮らしていた。小さな地代と食費や光熱費などは何とかなっていて、生活を維持していた。そんな中、買い物途中で転倒して病院に運ばれ、この時、私の同席を求められたが、兄の医師への応答が、事実と異なることが多いことに気付かされた。
実は以前から、「実体のない見栄っ張り」「実生活と乖離した非合理さ」で私をよく立腹させたが、それが顕著になっていて妄想性を感じさせていた。退職の原因も、上司とのトラブルらしかった。

 転倒事故による入院からの退院後は、通院の必要な在宅生活となったが、通院の日には、午前半日を兄と過ごし、コミュニケーション内容の現実と状態をつかんで医師の診査時に兄と同席させてもらった。医師の判断が、患者の情報からだけでは危ういと思えた。

2年ほど経ったある時「空に閃光が見えた」「空飛ぶ不明の飛行体をる見た」という幻視と思われる訴えがあったことはがある。

そして、認知度は急激に低下し、買い物は「弁当」のためのものになって日に何度も購入していた。空腹を感じると我慢することは無くなって満腹感など無いかのようだった。 
失禁も増えた。洗濯されない悪臭のする服を何日も着ていた。
認知症だけでなく、統合失調症の認定も受けた。

それで、医師・行政と相談して身辺の管理をヘルパーに対応してもらうことになり、月1回の通院は 不定期となって、私を含めた面談日も設定された。認知症、統合性失調の認定を受け、重度でない「障害の程度」から1時間週1回の範囲で受けられることとなり、室内掃除と昼1食分の調理支援を受けることとなった。私も週1回訪れて半日(6時間)程過ごした。残された洗濯物を洗って室内干しし、チン物(冷凍食品)を補充し、便器の外まで散った小便の臭いの充満するトイレを掃除して消臭を施した。

この、再構築された生活は、兄にとっても周囲にとっても、チェックされるべき項目が共有されるきっかけになったようだ。ことのできた情報から、 確実な認知症、「アルツハイマー型」でない「レヴィ小体型」で、初めは殆ど問題の見えない生活が続ていたようだ。ただ、正常な「知力」は改善しなかった。



 と月1回の通院の送迎とを行っていたが、ついには継続的な入院生活と「3ヶ月毎の転院」を強いられようになった。そんな中、

2025年9月25日木曜日

ラジオ少年時代のラジオ

兄が亡くなって、空き家となった古家の処分をしなければならないことになり、訪れると、60年前にラジオ少年だったころのラジオが残っていました。
60年前、私はラジオ少年でした。そしてその頃、大量の旧いラジオが廃棄されたのでした。

ハマった (少年時代) !!!

left 太平洋戦争が終戦すると、占領軍は1947年、それまで日本で使われていた、「並三」、「並四」方式のラジオを禁止しました。選択度を上げて感度を上げる為の「再生回路」(放送波の正帰還)が、『発信』を引き起こし、占領軍の無線通信に妨害を与えたからです。検波回路の前段に高周波増幅回路を置き、アンテナに妨害電波を出しにくい「高一」方式も『煽りを喰って』衰退していきました。 当時のラジオの寿命は5年~10年だったこともあり、これに合わせて大量の買い替えが起こりました。

そして、少年達---私も含む---に「趣味」の「素材」が、「ただ(無料)で」提供されるようになり、ヘマや失敗を恐れずに「やって見て」、「自分のラジオ」を作って楽しむ機会が与えられました。


ラジオ少年への道

ラジオを分解し、「部品取り」し、必要ならシャーシーさえ加工(シャーシーが鉄板のため、固く、危険なバリをヤスリで取り除く必要がある)して組み立て直し、アマチュア的ではあるものの自己満足度の高いものにしました。短波受信には、真空管の脚を持つベークライト製の「プラグイン」にコイルを巻き、差し替えて対応する方式でしたが、ロータリースイッチで中短波切り替え方式に改良しました。遊びなので年に数台修理を引き受け、たまには小遣いになりました。

2025年2月16日日曜日

また、また生演

豊中フィルから招待状が来ていたので、聴きにいった。 シベリウス三昧で、フィンランディア・カレリア序曲・組曲1部・交響曲1番という中身。 ちょっと前に2番を吹田フィルから聴かせてもらったので、シベリウスの「立て続け」という感じだ。 人々は歴史の中で生きざるを得ない。自分も半世紀以上も昔だが、日本の在り方と自分の生末の「選択」にガチで対面した。自分の思う方向では束まらずに歴史は進んだが、その中で、アレコレ議論し、得たものを背負いながら、道を選んだ多くの友人たちもいる。また、生きていた「自分」の感性や価値観、己の利と理をひと時も離さずに、斜交いに自分の外を眺め続けた同僚も…。 そして、若者の時から、家族や世の中をそれなりに背負い、生き抜き、そして老いて今を生きている。 シベリウスは何か「共感」をくれるのだ。

2025年1月15日水曜日

立て続けに生演

 1月12日は吹田フィルの定期演奏会で招待状が来ていたので聴かせてもらいにいった。年末には高槻フィルの定演で、「連荘」といったところ。

ヒンデミット:  ウェーバーの主題による交響的変容
ウェーバー:   クラリネット協奏曲第2番
シベリウス:   交響曲第2番

クラリネットはフリオ・カプラ氏

シベリウスの交響曲2番は、フィンランドの情景の浮かぶ「気に入った」曲だ。


2025年1月1日水曜日

明けましておめでとうございます。本年もよろしく♥

 ちょっと早い目の墓掃除を29日に済ませ、「正月には来れないかも知れない」と花も整えておいた。

妻が亡くなったのが、35年前。早いものだ。命日と新年が半年で回ってくるから、忘れずに墓前で半年間の「仮想」の報告会をやる。主には、もし、ここにいたら一緒に喜んだろう「目覚ましい」(「速い」じゃない) 孫の成長とそれの出来事だ。

とにかく、孫の成長は、①喋る内容も進化し、②使う言葉もコントロールされて、賢くなったのを喜んだらいいのか、③幼い地からの言葉じゃなさそうで、距離感がある。「まぁ、これが成長だ。まだまだ可愛く癒してくれる。」と思い知らせてくれる。

2024年12月23日月曜日

久しぶりの生演

高槻市フィルの演奏会を聴いた。メインはベートーベンの「田園」だが、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、シューベルト「悲劇的」で、結構聴いた曲だ。

「悲劇的」の出来はあまり良くなかったようで、各楽器の一体感が薄く、個々の演奏の足し算という感じがあった。今日最初の演奏だったこともあるかも知れない。演奏前に団長と少し会話する機会があった。十分な時間が取れないとのこと。確かにアマチュア楽団だし、時代 (高齢化) からも、練習負荷を大きくできない、集まるのも一苦労な筈だが、その割には、いい演奏だった。頑張ってほしい♥
特に田園は心と耳が違和感なく働いていたし、十二分に楽しませてももらった。

2024年9月15日日曜日

急な但馬訪問

10月は具体的イメージもないまま、地域の友人の「音頭で」で「白浜温泉へ」の、また別の友人が「それなら、醤油の湯浅にも」と旅行するところとなった。
ところが、メンバーの1人が都合が付かなくなって…「身体」の問題…、急遽延期となった。

ところが、別の急な友人から「但馬へ行かんか?」との電話、長らく会っていない但馬の友人宅を訪れようとの提案で、すぐOKした。

但馬は…対馬暖流が流れている筈なのに…例によって寒い。布団をガップリ被せて、グッスリ眠った。朝起きると、1人での散歩がてらに、直ぐ近くの「塚の坪古墳」をチラッと見学に出た。
友人宅の、かなり前に訪問した際に熊がよじ上って実を喰っていた柿の木のそばを通って、田圃の中の幅1mの農道を伝って、古墳まで歩いた。友人も眠っている早朝の、1時間足らずの散歩である。

この辺り…但馬~若狭…は、古墳時代後期・終期の円墳が多い。円墳は高く、底面が広くないので、突出した小山の感じである。この時期、形式は南近江の同じ時期の古墳にも見られる。
この時期に、先進の知識と技術を携えて、数多くやって来た渡来人は、定住した場所で生産力を高め、王権を支える知識層として、周辺の民衆と混交しながら人口を増やしていった。南近江も日本海沿いの平野部も、そんな地域である。


狭い棚田状の谷地奥の小高い所に、目立って座っている。

坪の塚古墳(google 検索からの画像を拝借)

その西側の山中にも幾つかの小さな古墳が集まっているという地図がある説明書き看板があった。時間がなかったので、残念ながら「無視」!

齢も増え、趣味の古墳巡りも「半ば卒業」だったが、久しぶりに楽しんだ。