高槻市フィルの演奏会を聴いた。メインはベートーベンの「田園」だが、ウェーバー「魔弾の射手」序曲、シューベルト「悲劇的」で、結構聴いた曲だ。
「悲劇的」の出来はあまり良くなかったようで、各楽器の一体感が薄く、個々の演奏の足し算という感じがあった。今日最初の演奏だったこともあるかも知れない。演奏前に団長と少し会話する機会があった。十分な時間が取れないとのこと。確かにアマチュア楽団だし、時代 (高齢化) からも、練習負荷を大きくできない、集まるのも一苦労な筈だが、その割には、いい演奏だった。頑張ってほしい♥
特に田園は心と耳が違和感なく働いていたし、十二分に楽しませてももらった。
大昔、コーラス部の部長をやって専任指揮者にサボられた時には練習用に指揮棒を振った。専任の指揮者が棒を振るとテンポや強弱は、楽譜通りで的確で皆は歌いやすかったようだが、私が振るとそうは為らなかった。しかし、練習を積み重ねると様子が変わってくる。「自分が歌う」のでなく「耳から入ってくる音の塊に吸収され」て『自分が』歌っている感覚は消えてしまう。
自分の声が聞こえているのに…
結局、「情の動き」が発揮されて演奏者や歌い手等も、1つに統合されてしまう。ここまでは OK だが、棒を振る立場は、ギリギリのところで冷静に耳に入ってくる音を評価しないといけないので、自分はこれに統合される訳には行かないのだ。指揮者でない自分はついつい統合されて「楽しんでしまう」のだった。
懐かしく、半世紀以上前の思いが思い出せた。
団長氏に感謝 m(.L.)m