2024年6月21日金曜日

手術の痛みもマシになって

このひと月は、長い人生の中でなかなか「思わせる」ことが多く、1文では表せない。突然死確率1~3%、腹部大動脈瘤5.1cm、ステント可能性なし、開腹手術による人工血管代替となった。5/8入院、5/10手術、5/25退院となったが、ICUから本来の病室に戻ったのは、5/20、術後5/18に息子立合いで重症者個室で面会した。

  1. 自分が高齢だということを思い知ったこと
    • 医師が「順調だ」という言葉も、実感と合わなかった。溝落ちから臍下まで真直ぐに降り、そこから「つ」に曲がる開腹ラインは2週間経つが痛いままである。
    • 食が細くなった。「食べる」という圧力が医師や看護師からかかるが、「痛い」ということもあるものの「食欲」が伴わない。日々、食べることを「頑張る」必要あったが、「ちょっとだけ」頑張る程度に路線を変えた…良くなれば食えるのだから。術前は他人より多く食べ、ウォーキングや山登りのエネルギーになっていた。
    • 重症者個室入りは8日間だが、痛みとそれ以上の退屈の苦痛に耐えた。が、「慣れ」は恐ろしく、その内に、当日が何月何日か分からなくとも医師と看護士の手で生活が回り、何時か分からなくとも食事が喰えた。ゴロゴロとベッド上で暮らしても生きているだけだが、初めにあった苦痛は「慣れに消されてしまった」。
  2. 意外と「気にしぃ」で「痛がり」だった。
    • 入院中は「しかたない」と痛い腹を押さえながら奨められた病棟廊下の散歩に励んだ。
    • かつては医者の「指導」などは、医者と自分の間で勝手に調整したが、今回は医者の「言う通り」をスケジュールや量を守った。「身体」に自信や自分が入る余地はなかった。
    • 術後の「重症者個室」でも一般病室に戻った後でも、情報は診察内容や処方薬の説明に終わり、丸投げで「委ねろ」式。インフォームドコンセプトの叫ばれる時代に、その根拠・役割やプロセスでの位置づけや説明はなく。「突き合わせ」(医師が掴んでない状況もあろうのに)はなかった。?????
    • 痛みを我慢しながらの生活だが、退院もまた早い?????

家での生活も痛みを我慢しながらだが、ヨタヨタと歩きながら健康時の2倍の時間をかけて歩いて「毎日の」買い物に出ることにした。たまに隣人や友人に出合い、少し会話し、心配をしてくれるのが早く良くなりたい気持ちを高めてくれた。

主宰するPCサークルの活動も、老人会にも参加再開した。