2016年12月9日金曜日

パソコンガラクタの処分ついでに野中宮山古墳へ

大阪市の南の端の方で、かなり前から、金とレアアースがたっぷりのものを、回収・解体・再利用分別・資源分別などをやっている業者がいて、今年も、この1年間に溜まった修理不可のパソコンやパーツ、ガラクタ、残骸の類を引き取ってもらいに行きました。缶ジュースや缶コーヒーをくれるのですが、「無理せんでいいよ」というと「まぁ貰っといて」というのが恒例の挨拶になっています。まぁ経営できているようです。 河内に近いので、帰りに古墳か「由緒のない」(知られていないという意味で)ちょっと歴史を刻んだ神社によっています。

今回は、古市古墳群の中の野中宮山古墳に向いましが、途中で有名な津堂城山古墳があり、その傍らに若い二人がやっているオリジナルラーメン屋さん(前方部右端向い側)があったので腹ごしらえした後、20分ほど駐車区画を1つ使ってよいことにしてくれたので、フルで歩き回りました。

百舌鳥の大仙古墳(仁徳陵に治定)や古市の誉田御廟山古墳(応神陵に治定)は古墳時代中期の巨大古墳の時代を代表する古墳ですが、2重・3重の水を湛えた周濠を持っています。

2016年11月9日水曜日

狭山池博物館へちょこっと

コーヒー友達AMIM氏と予定していた「滋賀湖東の古墳」見学を、雨のため、屋根付きの狭山池博物館に変更して行きました。『どこかのTV番組で、狭山池周辺の住民に穴場を尋ねたら、誰もかれも「狭山池博物館」と言う上に、確か前の知事が「廃止」を言った建物だと思うので見て置かないか』との提案に乗って、見に行きました。

途中、道案内に「みはら歴史博物館」というのがあったので、「ついで!」とハンドルを切りました。小さな館に入ると(65才以上無料)、梵鐘工房遺構が覗け、鉄窯・鉄鍋などが展示、この辺りには「河内鋳物師いもじ」という鋳造技術集団がいて、平安時代から室町時代にかけて、梵鐘などを高い技術で製作していました。特に、興味を引いたのは、奈良東大寺の大仏は、製作技術が未熟で、ひびが入り、ついには頭が落ちたそうです。これを修復したのが河内鋳物師たちだったそうです。

別室には古墳時代の甲冑が展示、1体でなくズラッと並んでいました。兜は、ツングース系です。

2016年11月6日日曜日

乙訓の古墳へぶら~り II

2日程、疲れる運動と激しい運動を控えるよう医者に言われたので、車の運転ならOKだろうと、先日見れなかった、乙訓の元稲荷古墳とついでに天皇の杜古墳を見に行きました。

京都市周辺では、古墳時代全般を通じて、淀川支流では水運に恵まれた桂川沿いと木津川沿いに営まれます。都の営まれた今の市内は辺境だったわけです。

先に訪れた天皇の杜古墳は、伝承の文徳天皇陵(9世紀半ば)とは異なり、朝顔形埴輪が出土していて前期後半(4世紀後半~末)の前方後円墳だとされています。墳形も、前方部が撥形には開かず大きくもないので、オオヤマトの大王クラスの古墳より少し後、地方の首長クラスの古墳ということのようです。墳丘の中を自由に歩けるのは有難いことです。墳丘の周りは濠でなくて単なる兆域。

2016年10月27日木曜日

石上神宮と天理大「参考館」

大阪とは違う夜の気温の中、T氏宅に1泊。今日は石上神宮に立ち寄る予定でしたが、写真愛好家氏の体調が優れず家に帰ることになり、朝食後の10時頃まで雑談して駅までまで送り出しました。

石上神宮は天理市にあるので、博物館である「天理大学付属『参考』館」に寄りました。昔は「雑多に並んでいた」が今は数も配置も整理されたそうです。確かに学問的な一級品揃いな感じでした。この辺りは「布留遺跡」で、編年に使われる土器に特徴のある、古墳時代の早期の遺跡ですが残念ながら遺物の展示はそう多くありませんでした。

西大寺を20分間訪問

一昨日の昼から、半世紀来の友人が秋田から大阪にやって来るということで、同じく半世紀近くの友人である奈良歌姫町のT氏宅の厄介になって、友人たち8人が集まってワイワイガヤガヤ旧交を温めました。

西宮からやって来る古書店運営「みどり文庫」氏に落ち合うまでの30分ほど、秋田の友人と、西大寺駅近くの西大寺を訪問。8世紀半ば、道鏡事件で知られる考謙が重祚した称徳女帝が、「国家鎮護」を祈願して造った寺とされています。この女帝は、聖武天皇の娘で母が光明子です。絶大な権力を私的な恣意に委ね、かつ他者に頼ってしまうタイプだったようで、陰謀渦巻く権力闘争と反乱に明け暮れた時代を作っています。親に対抗し、東大寺と同じレベルの寺を創建しましたが、平安時代に度重なる火災で衰えました。

2016年10月18日火曜日

息抜きでブラ~リと古墳

コーヒー友達が今日は娘嬢とデートということで、1日暇になってしまったので、ブラ~ッと古墳を訪れました。

川西市の街中を北に進んで小高い山のふもとに勝福寺というお寺がありますが、その裏山、寺の西横にある神社参道の石段を上がり切ると、石灯篭の裏に、案内板とその後ろに「勝福寺古墳」という古墳が見つかります。

この古墳は6世紀初めの「横穴式石室」を持つ前方後円墳では最初期のもので、長さ40mです。

2016年10月9日日曜日

乙訓の古墳へぶら~り

雨が降っていた朝も、9時半には曇り空となったので、「天気予報から大きく外れないなぁ」と思って、機会をうかがっていた「淀川北岸上流の古墳」をブラッと見に行きました。

先ずは、恵解山いげのやま古墳へ。
恵解山古墳は、戦国時代に城か砦に使われて、江戸時代には墓地に。ひどく変形していたらしいですが、例によって国史跡となって大変貌しました。子供たちが前方部の正面上り口の階段で遊んでいたり、親子が周溝の芝生を散歩していたり、夫婦が犬を散歩させていたり、古墳遺跡の市民サイドの使い方を見せていました。

2016年10月5日水曜日

キトラ古墳壁画見学会へ・・・のついでに

久しぶりに古墳に上りました。友人 AMIM 氏がキトラ古墳の壁画の特別公開に応募してくれて当選、その見学に行きました。

ちょっと時間があったので岡寺駅で降り、丸山古墳に上りました。欽明天皇陵説が有力ですが、奈良随一の大きさ、日本第6の大きさ、時代を考えるとまぁ正しいと思っています。地域の農民が耕してしまい、後円部上部だけが参考陵墓地として囲われ、木が茂っています。一般的なこんもりと木々に覆われる風景ではありませんが、長大な前方部と盛り上がった後円部の古墳の形は電車の窓から確認でき、巨大です。有名な石室の羨道入口くらいは分かるかも知れないと囲いまで上りましたが、案内板はあったものの確認できませんでした。

2016年8月22日月曜日

ちっちゃなちっちゃな地蔵盆

一昨日の夕方~夜は、息子の奥さんの実家で催している地蔵盆に寄せてもらいました。家の敷地に地蔵堂があって何年も前から続いているとのこと。

娘の子供の頃に、周りに子供がいなくて近所での友達作りに役立つのではないかと思ったそうです。

2016年8月1日月曜日

鹿島槍登山 (故障と年齢で 11 時間歩行)

私と一回りほど年下のS氏と一緒に、S氏の厄介になりながら、「鹿島槍」登山から昨日帰還しました。去年、現地で雨に見舞われ、黒部観光に切り替えることになってしまった計画のリベンジです。

残念ながら、今回も天気予報と違って、ガスの中を歩くことになりました。


初日:
大町泊り。青春18切符で。

2016年7月25日月曜日

またまたまた但馬へ

この2日間は、但馬探訪を楽しみました。5~6回目の探訪になるのですが、大阪より 1 ℃以上低く、暑さを (駐車させておいた車の中を除いて) 感じさせず、朝は寒いくらいでした。

大阪の十二分に高齢者となっている私にとっては、但馬は、雪に埋もれる冬を除けば、晩春から中秋にかけては、穏やかで自然たっぷりの魅力ある地方です。

2016年7月18日月曜日

伊吹山登山 (練習とチェックのために)

月末予定の「鹿島槍」登山に備えて、10才ほど若い、地域の友人と伊吹山に登りました。

3 時間半の行程に 5 時間かかりました。頂上付近から雲がだんだん増え、頂上に着いたころはガスの中でした。 下山はバス。青春18切符の各停で帰阪しました。

実は、去年 3 人で挑んで断念した計画のリベンジでした。その後 4 人で車で山頂まで行き、山頂を散歩しました