大阪の十二分に高齢者となっている私にとっては、但馬は、雪に埋もれる冬を除けば、晩春から中秋にかけては、穏やかで自然たっぷりの魅力ある地方です。
少しいびつさのある個性豊かな、地域で忙しく活躍する、極めて善良な 40 年来の友人…今や「好々爺」の雰囲気ですが…に会うのをネタに、この地域の古墳、史跡、ついでに名所と観光地を巡らせてもらっています。
池田古墳の出土の埴輪「水鳥」が有名ですが、今回は、水鳥をテーマにした出雲大社の神事について、千家 和比古さん(権宮司)の講演会があるということで、友人 AMIM 氏の誘いを受けて参加。西宮、甲子園の古本屋「みどり文庫」を運営しているもう一人の友人、但馬の好々爺と4人の参加となりました。みどり文庫氏と好々爺はい眠っていたそうですが…
千家さんの講演から、自説にとって都合のいいところを挙げると、
- 秋の収穫儀礼に ①神の依代を準備する ②田の神を家内に案内する ③依代に神を依らせて主が酒食をもてなす ④家内全体で共食する といった儀礼が、出雲大社だけでなく、他の地域にも存在し (おそらく広汎に、例: 能登のアエノコト)伝わってきた。
- 出雲の神魂(かもす)神社収穫儀礼での神寄せの音・歌による儀礼が、他地域にも存在し (おそらく広汎に、例: 佐賀県富士町の霜月収穫祭) してきた。
- 鳥は神と交信し招き、人を導くとされた。また、鳥装のシャーマンが存在した。
鳥人(鳥装のシャーマン)の神事の所作に「羽振り(祝)」があるが、別れでなく、再会や回生の意味合いと考える。 - ①神の「依り降り」 ②もてなしの饗宴 はカモス・カマスとして広く伝わってきた。(例: 宮古島のカマス祭)
- 出雲大社儀礼の分離・変遷・再統合の過程に、天皇儀礼の移入、天皇儀礼への移出・統合が見てとれる。
(皇極期辺りの 7 世紀半ば確立した。ブログ素人)
「バイバイ」と手を振るのも、サヨナラの別れでなく「また再会しよう」というのは、優しいロマンがあります。
講演が終わって、近くの船宮古墳を見学しました。去年、但馬を訪れた時に素通りすることとなり、目を付けていた古墳です。
西側から後円部を見る。写っていない北側は盛り土された前方部に神社が祀られている。 |
丹後、丹波、但馬の但丹地方「タニハ」の地は、朝鮮半島からヤマトへの第2の鉄の道の首根っこに当たり、弥生後期には、越前まで広がる出雲の「四隅突出墳」墓制に割って入るように、一帯に「台状方形墓」の共通墓制もあり、かなりの独立性の強い(=力のあった)地域でした。ヤマト王権の形成期には、四道将軍「丹波道主命」のストーリーや神宮皇后の出身地が丹後とされるのなど、ヤマト王権の重要な一角を占めていた筈です。
墳長 136m の前方後円墳であった但馬の池田古墳は、有名な親子水鳥を含む多くの形象埴輪を出土しています。造り出し部に配置されており、葬送の意味合いよりも、王の権威を示す意味合いの強いものと思えます。これらは、周豪堤に配置される以前、古墳時代中期前半期 (記紀で言えば応神~武烈期の早い時期) 中の築造として大きな矛盾はないと思います。
問題は、大型前方後円墳である池田古墳後に築造される古墳は、中心になる場所が東に移り、茶すり山古墳といった墳長90mの巨大ではあるもの円墳に変わっていることです。それに続くのが墳長91mの前方後円墳、船宮古墳です。小さくないのですが、実際に墳頂から見下ろすと池田古墳の半分程度に感じてしまいます。そして、その後は、大きな古墳は衰退していきました。ある1時期、ある政治的動機をもって、池田古墳が築造されたのではないかと思われます。(果たしてそれは何か分かりませんが???)
6世紀に入ると畿内で大きな前方後円墳は大王墓しか作られなくなります。ところが、関東では巨大な前方後円墳が築造されます。さも、ヤマト王権の広がりとともにその力及ぶ限界あたりで巨大前方後円墳が築造され、一方、ヤマトに近い方から、大王墓を除く前方後円墳は衰退していくようです。巨大な前方後円墳は、ヤマト王権への帰属(連合的なものであっても)を権威的にアピールし、それと引き換えて地方王権のその地方の支配権を是認するかのようです。そして、既に従属関係がはっきりしたなら、交換対価はいらないといふうでもあります。―というのが自説です。研究課題ですが…
エアコンの熱交換で暖められた外気に包まれる大阪と違って、清々しい空気でした。…ところがそれを超えて寒かったのです。翌朝、眠れないAMIM氏が 5 時頃に起きてテレビを見ていて、少ししてから私が合流。そして 6 時半頃に来客、その音で迷惑そうに目覚めた「みどり文庫」氏が合流、最後に、家の主の「好々爺」氏が合流。要件は村の神社の草刈りの件でした。朝から、風通しよく開け広げ、電灯が点いてテレビの音がする、この家を見て、村人氏は「おっ、起きている」と思ったのです。朝の野良での一仕事の後だったのでしょう。都会型ずぼら人のとは違う生活スタイルにちょっと感動しました。…といっても、自分がそうするんだとは思いませんが。