川西市の街中を北に進んで小高い山のふもとに勝福寺というお寺がありますが、その裏山、寺の西横にある神社参道の石段を上がり切ると、石灯篭の裏に、案内板とその後ろに「勝福寺古墳」という古墳が見つかります。
この古墳は6世紀初めの「横穴式石室」を持つ前方後円墳では最初期のもので、長さ40mです。底部に紐跡を残す「尾張式」埴輪、画文帯神獣鏡、六鈴鏡、銀象嵌竜文刀ほか豪華な埋葬品が出土しています。後円部では、後の横穴式石室で一般的に見られる同じ石室への追葬が行われず、別の石室を開けてそこに追葬し、前方部には南北2つの棺も発掘されています。古い特徴も併せ持ちます
横穴式石室は、4世紀末~5世紀の間、北九州にほぼ限られた埋葬形式でしたが、6世紀にヤマトの大王も含む有力豪族の形式となり、その後各地首長の形式として広がっていきました。
勝福寺古墳は、豊中市桜塚の古墳群に交代するように現われます。猪名川北部のこの地域に大きな古墳が築かれるのはその100年前で、その間中断しています。武烈死後、近江・尾張・越前三国・三島の勢力を背景に、かなりの時間経過の後に継体が即位するという、大きな政治的切れ目がありますが、勝福寺古墳の被葬者も、継体を支持した三島の勢力に加わっていて、それで勢力を得たのでしょう。
次いで、山中の道路をタラタラ走って、川西市最北の「黒川ダリア園」へ。山形県川西町のダリア園(4ha)から球根を譲り受けて、開園(0.6ha。山形の7分の1)したそうです。黒川地区の団体で運営し、「協力金300円」「駐車料金タダ」で入園できます。広くない園内を歩いて、430種のダリアを十分に見て回われます。滞在した1時間ちょっとの間の見学者は30人くらいでした。色や色合い、形、サイズはまちまちですが、「~咲」という咲き方の類別があっても同じように見えて区別できないので、「~咲のこの花と、~~咲のこの花はどこが違うのか」園の人に聞いてみると、「よく似ているけれどそうなっている」とのこと???