2018年12月19日水曜日

パソコンガラクタの処分ついでに誉田御廟山へぶら~り

年末なので、恒例化しているパソコンガラクタを処分しました(11.25)。持ち込んだ工場(作業場)では、引き取り・分解の作業中でしたが、人手が減っていました。PCリサイクルの出だし業者だったのに、競争相手が増えたのか、人手が足りないのか…
ついでに、古市の古墳でも見ようと、テーマなし立ち寄りました。取り敢えず、大和川を南に超えて東へ向かい、堤に出て、外環状線を南下して、誉田御廟山古墳へ...
近くの DIY 点で PC 修理に使う精密ドライバーを購入して、そのまま近くの誉田御廟山を一周してみることにしました。

とにかく、でかい! 誉田御廟山

古墳仲間 AMIM 氏と大仙陵を訪れたときは、外周濠からこんもりとした墳丘を見上げて、博物館を見学したのですが、今回は一周することを目指して、住宅地の中を徘徊することになりました。体力をかなり消耗した上に、なかなかゴールしないので、こいつぁ、でかいと思うばかりでした。


国道170号線側からおよそ南南東方向、西外濠提

北側の遥拝所の道路向かいに別の古墳があったので上ってみました。大鳥塚古墳で、規模では巨大古墳に次ぐもので、時期的にも誉田御廟山と同じころということで、王権の構造を想い起こさせます。


大鳥塚古墳。後円部東斜面と前方部を見る

御廟山古墳周辺には、住宅地に隠れて「陪塚」が多く散在しています。外濠東側の住宅地に隠れて2つの方墳を巡りました。他は無視...


東馬塚古墳
 
栗塚古墳

誉田八幡宮

後円部沿いの南側に誉田八幡宮があります。北の遥拝所に比べて派手な雰囲気です。ご神霊を乗せた神輿がご陵までかつては渡って放生橋が立派です。(架けられたのは江戸前期とのこと)


放生橋から北向きに後円部を見る
八幡神は応神天皇の神霊と言われるのでまさにこの地が「相応しい」のでしょうが、記紀には記載はなく、言葉として現れるのは8世紀以降です。(続日本紀に「八幡」があるが応神との関連はない)
八幡神は武神で、これを氏神とする源氏の他、平家などの尊崇・庇護を受け、またいくさにまみれ、この八幡宮も焼失・再建を繰り返しています。維新時に付された社格は「諸社」です。

年波を感じるが

実は2年前に近くの野中宮山古墳を訪れた時に、「行けたら行こう」と思っていた古墳です。しかし、この2年に年波が襲って来ていました。歩いてみると疲れと痛みで、脚にこたえる遊歩でした。