2025年9月25日木曜日

ラジオ少年時代のラジオ

兄が亡くなって、空き家となった古家の処分をしなければならないことになり、訪れると、60年前にラジオ少年だったころのラジオが残っていました。
60年前、私はラジオ少年でした。そしてその頃、大量の旧いラジオが廃棄されたのでした。

ハマった (少年時代) !!!

left 太平洋戦争が終戦すると、占領軍は1947年、それまで日本で使われていた、「並三」、「並四」方式のラジオを禁止しました。選択度を上げて感度を上げる為の「再生回路」(放送波の正帰還)が、『発信』を引き起こし、占領軍の無線通信に妨害を与えたからです。検波回路の前段に高周波増幅回路を置き、アンテナに妨害電波を出しにくい「高一」方式も『煽りを喰って』衰退していきました。 当時のラジオの寿命は5年~10年だったこともあり、これに合わせて大量の買い替えが起こりました。

そして、少年達---私も含む---に「趣味」の「素材」が、「ただ(無料)で」提供されるようになり、ヘマや失敗を恐れずに「やって見て」、「自分のラジオ」を作って楽しむ機会が与えられました。


ラジオ少年への道

ラジオを分解し、「部品取り」し、必要ならシャーシーさえ加工(シャーシーが鉄板のため、固く、危険なバリをヤスリで取り除く必要がある)して組み立て直し、アマチュア的ではあるものの自己満足度の高いものにしました。短波受信には、真空管の脚を持つベークライト製の「プラグイン」にコイルを巻き、差し替えて対応する方式でしたが、ロータリースイッチで中短波切り替え方式に改良しました。遊びなので年に数台修理を引き受け、たまには小遣いになりました。

2025年2月16日日曜日

また、また生演

豊中フィルから招待状が来ていたので、聴きにいった。 シベリウス三昧で、フィンランディア・カレリア序曲・組曲1部・交響曲1番という中身。 ちょっと前に2番を吹田フィルから聴かせてもらったので、シベリウスの「立て続け」という感じだ。 人々は歴史の中で生きざるを得ない。自分も半世紀以上も昔だが、日本の在り方と自分の生末の「選択」にガチで対面した。自分の思う方向では束まらずに歴史は進んだが、その中で、アレコレ議論し、得たものを背負いながら、道を選んだ多くの友人たちもいる。また、生きていた「自分」の感性や価値観、己の利と理をひと時も離さずに、斜交いに自分の外を眺め続けた同僚も…。 そして、若者の時から、家族や世の中をそれなりに背負い、生き抜き、そして老いて今を生きている。 シベリウスは何か「共感」をくれるのだ。

2025年1月15日水曜日

立て続けに生演

 1月12日は吹田フィルの定期演奏会で招待状が来ていたので聴かせてもらいにいった。年末には高槻フィルの定演で、「連荘」といったところ。

ヒンデミット:  ウェーバーの主題による交響的変容
ウェーバー:   クラリネット協奏曲第2番
シベリウス:   交響曲第2番

クラリネットはフリオ・カプラ氏

シベリウスの交響曲2番は、フィンランドの情景の浮かぶ「気に入った」曲だ。


2025年1月1日水曜日

明けましておめでとうございます。本年もよろしく♥

 ちょっと早い目の墓掃除を29日に済ませ、「正月には来れないかも知れない」と花も整えておいた。

妻が亡くなったのが、35年前。早いものだ。命日と新年が半年で回ってくるから、忘れずに墓前で半年間の「仮想」の報告会をやる。主には、もし、ここにいたら一緒に喜んだろう「目覚ましい」(「速い」じゃない) 孫の成長とそれの出来事だ。

とにかく、孫の成長は、①喋る内容も進化し、②使う言葉もコントロールされて、賢くなったのを喜んだらいいのか、③幼い地からの言葉じゃなさそうで、距離感がある。「まぁ、これが成長だ。まだまだ可愛く癒してくれる。」と思い知らせてくれる。